昭和48年 6月9日 夜の御理解   入力者【明渡徳子】



よほど濃ゆいものはないと言われておりますが、んー、ほんとにその中でも、親の、子の、おー、関わり合いぐらい濃ゆいものはありません。親が子を思い、子が親を思うというぐらい切実に、いー、通うものはないと。それがー、信心で、それがなされる時に、おかげが頂けると思うんですね。

えー、今、末永先生が申しておりましたように、今日は、家内の父の、おー、お立ち日でございますから、あー、まあ夫婦そろうて玉串を奉らせて頂いたんですけれどもね。あの、あたくしと家内と玉串を奉らせて頂いたら、家内の玉串にはパサッと榊にね、お勇みがつかれるんです。

あたしおもいましたね。ほんとにもう血ほど濃ゆいものはないと、ね。例えば言うなら、信心をもっと言うたら、言うなら私のほうが進んでおるかもしれません。けれどもね、いよいよぎりぎりの時には、やはり交流するものは、んー、やはり思いと言うか、なら家内の思いと私の思いというものは、もうそれこそ雲泥の差だろうとこう思うんですよね。

ですからそういう例えば、思いが天地の親神様とあたくしどもの関わり合いということが、あーあの、段々分かってきて、親神様であり、神様のいとし子である、氏子であるという、あのー、そのことが自覚できてくるほど金光様のご信心は、だから有り難い、尊い信心ができるといことが言えるわけです。

だから、色々なあのー、時からいろいろな端からです。いわゆる、子供を持って合点しろと仰る。または、なら子供を持っていない。なら親をもって合点しろと言うてもだからいいわけです。親を持たない、いー、例えば、なら若い人たちが子供を持っておるはずありませんから、親神様の心がわかりようがない。

けれども、おー、親を持つことにおいては、親を持たん子があるはずありませんから。なら自分が、あーあのー、親を思うその思いで、あたしは神様には接するべきと。同時にその親よ子よという関わり合いというものがです。ほんとに分からなければ、金光様のご信心は、いうことはわかりません、ね。

私はほんとにそれを、まあ今晩、まあ只今玉串を奉らせてもらって思いましたね。それはなるほど、あの娘婿と言やあ可愛いもんだと、まあ言われております。私も、なら娘婿がおりますけれども、結局はやはり娘が可愛いんです。娘が可愛いから、あのー、息子を可愛がるとですよ。ね、大事にしてもらわんならんから。

決して、娘と息子と、言うなら、娘と娘婿と本当のことを言うたらやはり娘が可愛い。娘婿が可愛いと言うけれども、あれは嘘だと思う、ね。可愛いことは可愛い。何故可愛い、可愛がるか。娘を大事にしてもらわんならんから可愛がると。だからね、あたくしどもが信心させて頂いて、いろいろな意味でです。

あたくしどもが親を思う心情というようなものが、信心の上に段々できてくる人を
手厚い信心ができるということが言えるじゃないかと思うですね。今晩玉串奉らせてもろうてね。家内は、お前気のついた、ほんなお榊の先の方でね、バサッと何かなでたようなお勇みなんですよ、あの柔い新芽のところつかれるんですからね。

けれどもほんとにあの、ふとドキッとしましたね。御霊様がやはり受けてくださる。ほんとにあたくしどものようなこのー、何と申しますかね。食べるに食がない。住むに家がないといったような時代は、その神様に対する思いも切でしたから、御霊様へ対する思いもやっぱ切であったようですね。

もう、何と言うですかね。もうない中からでもさせてもらうという時が1番素晴らしいことなんですね。私は、今日の御霊様の、おー、いわゆるもう二十数年以前に、まあそれこそ5円の金でも、10円の金でも割って使うようにさせてもらわなければ、もうお金がないときですから。

それでもやっぱちょうどなんじ?二十何年前の今日、果物屋に10円持って、えー、買いに、10円のお金で、もうとにかく2つでも3つでもええ。もうこっち入れて落ちとるとでもいい。あのー、安して、あのいくつでもあの思いだからと思うてね。だからこうあのー、ちょうど枇杷(びわ)を箱から出しよんなさるところで、そのキレイなのは、あの上に鉢盛りにしてある。

小さいのはもうこうくずの山が、あー、まあこう大盛りにこのされたりしよりなさったけども、それこそあたしが10円がた、その枇杷を分けてくれ、もう1つでも2つでもええですからと言うて。どうしなさるとですかちゅってからね。実は、こんな訳だと言うて、まあ話しましたら、ならこれを持っておいでなさいと言うて、ちょうど中皿いっぱいぐらい。

あの時分ではもうやっぱり、えー、何千円かしたんじゃないでしょうか。忘れましたけれども、あの頂いた。そしてそれをキレイに清めてから、ちょうど夜の御祈念の後に御霊様へそのことをご挨拶させてもろうて、えー、どんな風に盛り上げたかは、もう覚えませんけれども、とにかくあのー、父がなくなります時に、言うなら最後の食べ物で、もうこれはもうおいしいおいしい。日本一においしいもんだと言うて、枇杷を食べたということを聞いておりましたから、もう北京時代から、今日という日だけは、どんなに枇杷が高かっても、枇杷のお供えをするんです。

ところが、そういう二十数年以前のあの修行中の時分は、それもできませんで、できない時代でしたけれども、それでもやはり止むに止まれんという思いで、あのー、お供えをさせてもらってご祈念させてもらった時にあたしは初めて御霊の声というのを頂きました。今の、このー、先日から、んー、幽霊の写真とか、幽霊の声をテープにとっとるとかと。

それは実際には聞き取れないんです。けれども、その科学のすいを集めてですね、そういうことでも、例えばその声にするだけの科学的な働きをすると、やはり幽霊もものを言うということが、テープにはっきり残って、空中から声がしてくる。で、するわけなんですね。ですから、私が、あの二十数年以前に御霊様のお声をはじめて頂いた時、あれはやっぱり父の声であったなと思うのです、ね。

以来、非常に御霊様へ対するところの、御霊様との交渉交流というのが、非常に激しくなりましたね。ともう1つ、今朝からのご理解に「お供えとおかげはつきものではない」といったようなことをいう、あのみ教えに基づいての、おー、ご理解でしたけれども。結局、あのー、お供えというのは、真心の表現だと。

だから100の真心があるならば、やはり100の表現ができなければ、それは口だけということになるのですね。ですからそれは金銭のとか金額とかじゃありません。だから、私があの父の御霊様に、枇杷のお供えをさせて頂いたなんかって言うのは、それは金額は10円ぐらいだったけれども、その思い、表現というものは随分の度合いのものではなかったかとこう思うです、ね。

そこであたくしは思うのですけれども、それ以来御霊様との交流というものが、他の御霊様に対してでも非常に激しくなった。これは、あのー、この何て言うですかこの、あー、昨日まあ電話してもらっとりましたが、四次元の神秘というその本には、あたしたちがね、ほんとにお金がほしいならばね、例えば、水がポンプから上がってこない時に、ちょうどあの水を差しますね。上から。

そうすっと水をこう迎え水をすると水が出てくるでしょう。だからあのー、例えばお供えをするということやらね。例えば神様が喜んで下さるようなことに金を使うということはね、これはあの、お恵みに、いー、きれておる人でもちょうどみずあげをするような道理というものが、化学的に証明されておるということを説明してあります。

だからそういうことでもあるわけです。ならあたくしが、10円のお供え、10円で買わせて頂いた枇杷のお供えがです、ね。それを境に御霊様との交流がどんどんできるようになったということは、ちょうどみずあげをしたようなものですね。霊徳を受けていくためのみずあげのようなことであったということです。

まあいろいろ父の立ち日にはいろんなことを思わせられます。今日は特に感じたこと。なるほど血には勝てないな。血ほど濃ゆいものはないと言われるも、真実そうです。ですから、子が親の例えば御霊を大事にしなかって良かろうはずがありません。もうほんとにみなさんね、熱く喉が渇く。

ほんなら例えばおかあさんの御霊であるなら、おかあさんの御霊様達も喉が渇きんざっとじゃなかじゃろうかと。はあ、熱いお茶が美味しいと思ったら、もうそのままその熱いお茶を1杯お供えするといったようなね、あたしはけいこが大事になってくるんじゃないかと思うですね。

そこに親子の情というものの密なるものが、だからでけてくる。そして神様をこれにも増した、大変な、増した願いとか思いを持って、私共にいつも向かっておって下さるんだというようなことまで段々分かってくる道理ですからね。どうぞ。